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ドイツ民主共和国

ドイツ民主共和国(ドイツみんしゅきょうわこく、独: Deutsche Demokratische Republik (DDR)、通称東ドイツ (Ostdeutschland)[1])は、第二次世界大戦後の1949年に、ドイツのソビエト連邦占領地域に建国された国家。ドイツ西部から南部に掛けてのアメリカ・イギリス・フランス占領地域に建国されたドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)とともにドイツを二分した分断国家の一つ。1990年にドイツ連邦共和国に吸収される形で消滅した。

ドイツ民主共和国は、反ファシズムを最大公約とした複数政党による議会制民主主義国(人民民主主義)の形態を採っていたが、実際はドイツ社会主義統一党(SED)が独裁政党として指導権を有していた。同党以外の政党も一応存在が許されていたが、衛星政党としての性格が強かった(ヘゲモニー政党制)。ソ連軍が駐屯する東西冷戦の最前線でもあり、政治的・軍事的にはソ連の衛星国であった。

また、秘密警察である「国家保安省(シュタージ)」による国民の監視が徹底され、言論の自由などは無いに等しかった。シュタージは職場や家庭内に非公式協力員(IM)を配置し相互監視の網を張り巡らせた。

経済では第二次世界大戦の被害と、ソ連による賠償の取り立てを乗り越え、中・東欧の社会主義諸国でも最も発展し、女性の社会進出(人民議会議員の3人に1人、校長は5人に1人、教師は4人に3人、市長は5人に1人は女性であった)や電化製品の普及が進んだ「社会主義の優等生」「東欧の日本」とも呼ばれていた。

1980年代には、裁判において陪審員制度も導入され、ガス抜きとしての役割を果たしていた。また、徴兵制導入後すぐに兵役拒否者が続出したため、西ドイツに人権尊重の面で負けていないことを国際的にアピールする上でも良心的兵役拒否が合法的に認められ、代替役務が制度化されていた。なお、1987年には死刑を廃止した。

1970年代以降は公共投資が進み、日本の鹿島建設などの進出により、東ベルリンには高層ビルも建築され、生活水準もある程度上昇していたが、西ドイツに大きく水を開けられ、消費資材などの供給が少なく(例えば、自動車は申し込んでから7~8年以上待たないと納車されなかった。だが、この間に側金で買うだけの貯金が出来るということで、不満ばかりではなかったと言われる)、重化学工業生産が優先されていた。

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2008年12月16日 13:36に投稿されたエントリーのページです。

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