イラクのクウェート侵攻
1990年8月2日午前2時(現地時間)、戦車350両を中心とする共和国防衛隊の機甲師団10万人はクウェートに侵攻を開始した。ムバーラクとアラファートを完全に出し抜いた格好だった。なお、イラク軍はこの侵攻計画を事前に知らされておらず、ニザール・アル=ハズラジー軍参謀総長やアブドゥル=ジャッバール・シャンシャール国防大臣は、侵攻をテレビやラジオの報道で聞かされ寝耳に水の状況だった。
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クウェート軍の50倍の兵力での奇襲により、午前8時までにクウェート全土を占領した。同時に革命評議会はクウェート政権が打倒されたと宣言し、同日夕刻にイラク国営放送が、アラアー・フセイン・アリー首班のクウェート暫定自由政府(ほぼ全員の政府閣僚が、クウェート人に知られていないイラク軍人だったと見られる)なる事実上の傀儡政権の成立を報じた。一方、クウェートの首長ジャービル・アル=アフマド・アッ=サバーハはサウジアラビアへ亡命した。異父弟のシャイフ・ファハドは、少人数の警護隊とともに宮殿内での銃撃戦により死亡した。
イラクの軍事侵攻に対し、同日中に国連安全保障理事会は即時無条件撤退を求める安保理決議660を採択、さらに8月6日には全加盟国に対してイラクへの全面禁輸の経済制裁を行う決議661も採択した。